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塩釜神社・城山稲荷神社
[塩釜神社]
俗に「塩釜さん」と云われ、国土鎮護、商売繫昌、航海安全、安産、延命などの神として一般の信仰が厚い。
武雄に祀られたのは、第28代 武雄領主 鍋島茂義公の時で、公は西洋文化の吸収に力を入れたが、その為に、ややもすると当時、夷狄としての謗りを憂慮して、国土平定鎮護の塩釜社を天保8年(西暦1837年)6月、宮城県塩釜市の総本社に勧請し奉斎したのであろうと云う説がある。
[城山稲荷神社]
城山は御船山の別名であり、安政5年(西暦1858年)9月に勧請し奉斎したとなっている。
倉稲魂神・猿田彦命・大宮女命の三神に摂社の田中大神・四大神の二神を加え稲荷五社大明神と称し、殖産興業の守護神として祀られている。
ビルマ戦線戦没者慰霊碑
[碑文]
昭和16年12月8日、太平洋戦争勃発以来、戦域を拡大し、佐賀、福岡、長崎各県出身者を主力とした菊、竜両師団及び列、祭、森、狼等各師団精兵は、昭和17年1月、ビルマへと転戦爾来、昭和20年8月15日の終戦日までの3年7ヶ月有余、北ビルマ魔のフ―コン渓谷、中国領雲南、印度インバールへと進撃、九州健児の意気衝天鬼神をも哭かす勇戦敢闘の連日連夜であったが、戦局遂に我に利あらず、ビルマ戦線における総戦死者185,000有余名、今なお異国ビルマ会員一同は、ビルマ戦線戦没者の御霊前に深く敬弔の誠を捧げ、日本の恒久平和と永遠の繁栄を祈念して、ビルマ戦線戦没者慰霊碑を建立し、後世に遺す。
昭和62年10月吉日建立
ニノ手水舎
大楠をお詣りする前に、再度、手水をお取り下さい。
社務所・授与所
お守りやお札をお求めの方、ご祈祷の受付ご予約は、こちらにお越しください。
荒神社
俗に「荒神さん」と云われる。火そのものの神聖性と畏れの観念が日本古来の荒ぶる神の信仰と一体となって成立した民間信仰の神様の一つで、信仰内容は多様である。
文化13年(西暦1816年)8月に奉斎される。
本殿
現在地に遷宮後はじめて改築されたのは慶長17年(西暦1612年)となっている。
その後、昭和39年1月20日の火災により昭和45年12月、銅葺屋根の鉄筋コンクリートの社殿が再建された。
社殿は、流造の本殿に唐破風付き入母屋造りの拝殿となっており、色は当社の使いとされる白鷺に肖り白を基調としている。
肥前鳥居(三ノ鳥居)《市指定重要文化財》
元和3年(西暦1617年)武雄領主21代の鍋島茂綱が建立したものである。
この鳥居は、この地方独特のもので下部が太く、柱は三本継で形成されており、笠木と島木が一体となり木鼻は流線型になっている。
一ノ手水舎
ご神域に立ちいるさいには禊をして俗世間の穢れを洗い流さなければなりません。それを簡略化したものが手水になります。御神威を戴くためには、正しい手水の作法で心身をお清めください。
[手水の作法]
手水は最初に汲んだ一杯の水で、水盤に水がかからないようにしながら、全ての作法を行ってください。
一、手水をとる前に、軽く一礼をします。
二、右手で柄杓を持ち、左手を洗い清めます。
三、次に柄杓を左手に持ち替え、右手を洗い清めます。
四、再び右手に柄杓を持ち、左手に水を受けて口を漱ぎ、再度、左手を洗い清めます。
五、次に柄杓を立て、余った水を上から柄に沿って洗い流し、柄杓置きに伏せて置きます。
六、最後に、軽く一礼をして終わります。
※注意 柄杓に口を付けたり、水を飲んだりしてはいけません。
征清軍凱旋紀念碑
日清戦争での戦勝記念に、東郷平八郎直筆の書による記念碑が建立された。このことからも、当社の武運長久の信仰の深さがうかがえる。
夫婦檜(むすびの樹)
当社の御祭神である仲哀天皇・神功皇后の御神威によって、2本の檜が根元で結ばれ、樹の中ほどで再び枝が合着したと云われている。仲睦まじく立っているその姿から根元は夫婦和合を、繋がった枝は様々な縁を繋ぐ縁結びの象徴として信仰を集めている。
男女の縁に限らず、人との縁、仕事との縁、お金との縁など、人それぞれに願いは様々である。
また、雌木の中ほどに見られる宿木は、応神天皇を懐胎しながらも、三韓征伐で勇ましく戦った神功皇后の、安産、子授けの御神徳の現れであるとされている。
二ノ鳥居
寛文12年(西暦1672年)に藤原頼続によって肥前鳥居と神明鳥居の折衷型の鳥居が建立される。