宵のまつり(エイトウ)

eitou1a文治元年(1185)、壇ノ浦の戦いで強力な平家の水軍に苦戦を強いられた源頼朝は、当社に密使を使わせ平家追討を祈願しました。
翌春、境内の心字ノ池から飛び立った白鷺が源氏を励まし守護したという。白鷺は当社の、神の使いとされていました。
戦いが終わり翌文治2年、頼朝はこの勝利を武雄神社の神徳によるものと感じ、後鳥羽天皇の勅使と名代の御家人を当社に赴かせ、例祭前夜に種々のお供えものを献じました。
参り下向の際には、無病息災を祈念して「エイトウ エイトウ」と囃しながら、空になつた唐櫃を青竹で叩き町を練り歩きます。以来、甘久区民により毎年連綿と継承されています。

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